なにがあっても自分を信じる
とても偉そうなタイトルです。ごめんなさい!
私は、まだまだ未熟なところがたくさんあって、誰かにこうだよ!って強くいうことができません。
だけど、自分のことに関しては、これで間違いないのだ!っていう根拠のない強気な思いがあります。
あまりハキハキしたタイプでもなければ、周囲の人を引っ張って動き出せるリーダー気質でもありませんが、平和にのびのび生きているほうだと思っています。
参考適度に。話半分に聞いて貰えてたら幸いです。(めっちゃ逃げるじゃん。笑)
~目次~
なんか違和感あると思ったら
違和感、感じることってあると思うんですけど
それ、全部信じていいと思います。
いくら他人から(私よく他人っていうけど、近しい身内でも他人は他人だと思ってます。)可笑しいよって言われたけど、自分では正しいと思ってるとか。
常識的にはこうするのが普通だということが、頭で分かっていてもなんだか嫌だったり。
こういう不思議な感覚は信じちゃってください。
間違えてもいいじゃないですか。って思うのです。
他人に言われて従って正解したけどずっとモヤモヤしてるのと、自分で選んで失敗したけど妙にスッキリしてるのでは、後者の積み重ねをしていくほうが断然自分のためになります。
反対されると反抗したくなるのが人間
なぜ、正しい道ではなく自分で決めた道を進むほうがおすすめなのかというと、
人間誰しも本質的には、自分を信じたい生き物だから。
というか、実際のところ自分に一番関心のある生き物なのです。
どれだけ偉業を成した偉人であれ、振り返ると「私は~!!」って伝えようとがんばっていたり、自分を見て!っていう自己顕示欲の塊だったり
褒められることが大好きだったりするのです。(全く悪いことではないよ!)
だから、違うよ!でも!そうじゃない!とか言われると、言われた瞬間に相手との間に壁を作ります。
私も、良くないなと知りつつ、ついつい身近な人にほど逆接の接続詞を使って会話をしてしまうことがあり、いつも反省しています。
自分がされていやなことを他人にしてしまう自分に腹が立ちます。精進したいといつもいつも思っています><
ちょっとずつ繰り返すしかない
若者がよく年配者に怒られたり、教えて貰ったりするのは経験がないからです。
年配者がとても素晴らしい人間なのかというと、一概にそうとは言えません。
掘り下げていうと、だめな人間なのではなく、人それぞれ素晴らしいところも苦手なところも全くもって別なので、参考にはならんということです。
自分オリジナルの心地良さ。素直に受け入れられる選択肢。それぞれの人生。
こういうものを、自分の責任のもと、自由に創っていくのが人生だと思います。
そのためには自分の心を信じて、選んで失敗したり成功したり、悲しかったり嬉しかったりを繰り返して形成していくしかないのです。
まとめ
こんな風に考えたのは、私自身が最近めっちゃモヤモヤ悩んでいるからなのです。
まだ全部がすっきりはしないけど、自分の中でたくさん考えてたくさん書き出しているうちに出口はすこしだけ見えているからまとめてみました。
不格好でもいいし、へたくそでもいいし、いい子じゃなくてもいい。
いろいろ固執して偏って、ねじれている形のまま、そのまんまでいいから
自分がどうやったら気楽に穏やかに生きていけるかを重視して生きていこうと思っています。
生きること、人生について考え出した時に、ちょっと参考になったら嬉しいです。
終わり!