夫は他人である
私と夫は結婚して2年、同棲期間含めると6年ほどの付き合いになりました。
誰よりも、一番に信頼できる男性です。
とてもとても愛していますが、他人なのだと痛感することがたくさんありました。
大好きで、運命共同体で、何でも分かってくれているつもりになってしまっていました。
共に並んで生きていくことはあっても、同じ人間として生きていくことは不可能だと思い、考えをまとめてみました。
〜目次〜
一心同体ではない
どれほど一緒の時間を過ごして、同じことを一緒に取り組んだとしても、夫は他人だということを私はきちんと理解していませんでした。
分かっていたつもり、だったのかもしれません。
私が悩んでいること、やりたいと思っていることは夫もだいたい同じだろうな〜なんてタカをくくっていたのです。
当たり前っちゃあ当たり前なのですが、毎日毎日仲良く並んで過ごしていたからなのか、麻痺していました。
そして、なんだかモヤモヤする違和感と、2年記念日が近づいてきたことにより気付きがありました。
愛と共感は別腹らしい
これ。もう、これなのです。
声を大にして言いたい。
愛情があるのと、共感し合えることは別腹!!!
男女の違いでしかないのですが、『共感すること=相手を理解すること。愛すること。』だと信じていた私がいました。
なんでこうも、私という人間は…
共感して貰うことにフォーカスを置いて相手とおしゃべりしようとするのか。
否定されたくないから、表面的にでも認められると安心するから、嫌われたと思いたくないから。
そんな、弱々しい理由で、『愛してくれているなら私のことは理解して貰えているだろう。』
なんて、傲慢な考えのもと結婚生活を送っていました。
もう、恥ずかしくって恥ずかしくって、たまらんのです…( ; ; )笑
勘違いに気付いた
上にも書いた通り、恥ずかしーい勘違いに気付くことができました。
結婚2年目くらいできちんと見つめ直せてよかった、と明るく考えることにします。
夫と話をしていても、なんだかモヤモヤしたんです。
それは、配偶者たる夫が、私のことを分かってくれないのは可笑しいと決めつけていたせいでした。
どうして、他人の考えを勝手に憶測で決めつけるのか、普通に考えればそれこそちゃんちゃら可笑しい傲慢な女だと分かるのに、お恥ずかしい限りです。
まとめ
2年目の区切りを迎えたことで、当たり前のことではあるのですが、とても大切なことを思い出すことができました。
当たり前って、すごく難しいんです。
大切だよね、と思っている当たり前のことを小まめに振り返って、繰り返し確認していくことの大切さを痛感しました。
夫は(彼氏も同様ですね)他人です。
全てを理解し切れなくても、共感はうまく出来なかったとしても、思い通りにことが進まなくても、愛がないことにはなりません。
分からないなりに歩み寄ることも、違う視点から良いところを見つけてあげることも、苦手分野を代わりにやってあげたり、やってもらったりと交換し合うのも、愛の形です。
不器用で要領の悪い私ですが、3年目もすこしずつ夫と一緒の生活を楽しんでいこうと思います。
想像もつかないびっくりも、喜びも、もしかしたら辛いこともあるかもしれないけど、大好きな人と一緒に生きていける最高の幸せに毎日感謝して、暮らしていきます(*^^*)❤︎
惚気?みたいになってしまいました…
今日はこの辺で終わりです。